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個別記事の管理2010-03-22 (Mon)
タンコロが小4になった以降のことって、意外にも時間がそんなに経ってないのに、出来事を良く覚えてない。
まあ、ここ1年のことは違うけどね。

タンコロが小4ということは、ペイスケとは3歳違いだから、この頃ペイスケは中1になってた。
つまり兄弟揃って同じ学校に行くことは、タンコロが小3で終わってたんだ。
これ以降、これからも同じ学校に一緒に行くなんてないだろうな、と思うとちょっぴり寂しいね。

タンコロが小3の頃、秋桜が急な腰痛で3ヶ月近くも入院しちゃったことがあったけど、その時もペイスケの協力と、タンコロの人を寄せ付ける魅力みたいなものに多いに助けられたことがあったっけ。
ペイスケが中学生になったと言うことは、ペイスケの野球部でタンコロを構ってくれた子達も中学生になっていったということで、タンコロの学校生活の様子を図る手段が先生との交換ノート位になってしまって、心配することが多かった。
この頃の担任の先生って、主担任と副担任の2人制であったことは変わらなかったけれど、これも経済情勢のなせる業なのか、介助の先生が急激に少なくなってしまった。
しかも、主担任の無責任さと副担任の傲慢さには手を焼いたな。
ウチは副担任側のクラスで、思ったよりは影響が少なかったけれど、他の父兄からの評判がとにかく悪くて、特学から脱退してしまった人もいたし。
とにかく思い込みが激しくて人の話を聞かない、私はこうしてるからなにか文句でも?という先生だった。
ボクは、こと学校関係については1を言われると100は言い返すので、風当たりが少なかったけれど、それにしてもこの頃って教頭も校長も史上最低の奴等で、運動会なんかで教頭はブーイングの嵐だったし、校長には運動会の後1時間以上も説教して、その上で教育委員会にタレこみもしてたな。

それがタンコロが6年生になったとき、担任が二人とも変わったんだ。
お年を召した先生とバイタリティ溢れる若い女性の先生。
この2人にはそれぞれ特徴があるし、目線の位置も違うけれど、なにより子供達にとって先生として何をしたらいいんだろう?と考えて行動してくれる先生だったことが共通してた。

4、5年生のときの先生って、障碍児の作品発表展の「太陽展」に向けての行動しか取らず、それ以外は全くなしと言ってもよかった。
それが6年生の時の担任って、その辺りのメリハリが利いてた。
タンコロが6年生になるや否や、掛け算や漢字の書き取りに興味を示し、今では掛け算九九どころかレベル的には4年生くらいの計算なら出来るところまできていたし、漢字もかなりのレベルまできてる。
これも担任の先生が、タンコロのペースを考えて指導してくれたおかげだと思うし、以前書いた交流学級先の担任の先生のタンコロへの接し方がよかったからだ、と思ってる。
そういう意味では感謝以外の気持ちはないね。

この3年間の浮き沈みは、タンコロをたくましくさせたところもあったように思う。
5年生の時のお泊り学習での10キロもの山歩きも、健常児さえ脱落してしまう子もいたのに、ニコニコ笑ってゴールしたらしいし、修学旅行でも交流先のクラスメイトにはかなりよくしてもらったらしく、旅行が終わってもしばらく「修学旅行!」と嬉々として話してたっけな。

年1回行われる太陽展は、家族で毎年行ってた。
そこにはタンコロの成長の証とタンコロの心模様がてんじされているかのようだったしね。

そんなタンコロも明後日には卒業式を迎える。
かわいくて仕方のないタンコロ。
何度も「明後日は卒業式だよ」と、卒業の意味をかなり噛み砕いて説明してるんだけど、タンコロには一種のお祭りのようなものなのかもしれない。
それでもいい。
きちんとやれるべきことをやれた時のうれしさ、仲間がいることの楽しさなんかを感じてくれているならね。
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* Category : タンコロ
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Unknown * by ひーちゃん
ここに、コメントしたつもりが、3月13日のところに投稿してたみたいで…
すみませんでした。http://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_shock1.gif">

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